何でもないことのように

 

 


名前に花の名前が付いているのが綺麗だね、と云われたことがある。あれは何時のことだっただろう。もうよく覚えていない。
思い出すのは専ら、ギンに会ってからの記憶ばかりだ。

いつからこんな風にふと過去を思い出すようになったのだろう、と松本乱菊は苦笑して、執務室の自分の机に肘を突きながら持っていた筆を硯の横に置いた。
兎に角、今日のノルマは終えた。

窓の外に雨がしとしとと降っているのがわかる。その窓の近くにある、執務室の一際大きな文机を見やった。
上司である十番隊隊長の姿は無い。日番谷は仕事で、今日は別の隊へ出向していた。

「…たいちょー。」

呼びかけてみたところで返事が返ってくるはずもなく。
乱菊は椅子から立ち上がって長椅子にドスンと腰掛けた。

雨の日は苦手だ。あまりよく眠れないのに加えて頭痛がする。
置いてあるクッションを無意識のうちに抱きしめるのが癖になっていた。
ごろん、と横になって目を閉じると、にわかに睡魔が襲って来た。眠りの浅い乱菊が、落ち着いて眠れる場所は限られている。
そのまま、何時の間にか意識を手放していた。



花の匂いがする。


「…………と」

誰かに名前を呼ばれた気がして、乱菊は重い瞼を開けた。

「……あれ、隊…長…?」
がばっと起き上がると、外はもう薄暗くなっていた。

「…隊長?」
もう一度、今度ははっきりと声に出してみるが、返事はやはり無い。
空耳かな、とふっとこめかみを押さえて頭を振ると、目の前の机の上に小さな花瓶が置かれているのが目に入った。
白い花が一輪、活けられていた。

「……?」
何でこんなところに花が、と乱菊はそっとその花の花弁に手を伸ばしてみた。

「おう、起きたか。」
伸ばした手を反射的に引っ込めて声のした方を振り返ると、戸口の所に書類を抱えた日番谷が立っていた。

「隊長。すいません、あたし寝ちゃってました。」
「別にいい。おまえ、今日もう仕事終わってんだろ」
「いえ、でも。」
そうはいきません、と云ってみるが、
「頭痛えんじゃねえのか」
と返されて驚いた。
「え?」
「雨降ってるだろ。」
さも当然のように日番谷は窓の外をちらっと見た。雨はまだ止んでいない。
「……知ってたんですか。」

日番谷にそんなことを話した覚えはなかった。
しかしそんな乱菊の様子には気付かずに、そりゃあな、と日番谷は云いながら書類を机の上に置いて椅子に座った。
意外なことに、この隊長は小さなことをしっかり覚えていることが多い。
その中に、(どうでも良いことであっても)自分に関することが入っている、と思うと、何となく嬉しくなった。

緩んだ顔を見せないように、視線を花の方に戻した。
「隊長、この花、どうしたんですか」
ああ、それか、といった表情で日番谷は、
「さっきそこで卯の花に会ったら押しつけられた。おまえに、って。」
訳わかんねえけど、寝てたから其処に置いた、と墨を擦りながら呟く。乱菊はふふ、と笑って、
「浅黄水仙ですよ。……流石、救護班ですね。」
「あ?」
矢っ張り日番谷ははてな顔だ。

「頭痛、楽になりました。匂い一つで、結構変わるんですよ。」
有り難うございます、と礼を云った。
ああ、とやっと理解して、「ありがとう」にあまり慣れない彼は水緑の瞳をすい、と外した。

「………礼なら卯の花に云え。」
「勿論。でも、隊長にも。」

もう一度有り難うございます、と云った。
二度目の「ありがとう」は、「乱菊が雨の日は頭痛がする」ということを日番谷が知っていてくれたことが嬉しかったからだ。
当たり前のように思ってくれること、それはとても贅沢なことだと乱菊は知っている。
機嫌の良くなっている自分に気が付いて、ふっ、と笑って目を伏せる。
あたしも手伝います、と、日番谷の机の上に積み上がった書類を手にとって、自分の机に向かった。

 


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