Call My Name

 

 

松本という女は、結構礼儀正しい。
隊長格は無論のこと、例えば年下であっても(自分に対して、以外は)目上の人間にはきちんと敬語を使う(但し、酔っぱらったときは別である)。
でも彼女は、途中で云い直したりはするけれども、唯一三番隊隊長のことだけを「ギン」と名前で呼ぶ。

同期だから、とかそういう理由なのかも知れない。(しかしギンに関しては何となく厭だ。)
事実、自分だって雛森からは隊長になった今でも「日番谷くん」と呼ばれているのを特に厭わない。
(流石にシロちゃんは止して欲しい。)

でも。

松本は自分が隊長になってから、自分のことを「隊長」としか呼ばない。
彼女の口から自分の名が呼ばれるのを、聞いたことがない。
他の誰かの名を呼ぶときは必ず何かしらの固有名詞が付くのに、自分だけはそれがないのだ。
そのことにふと気付いてしまってから、今日の業務はちっとも進まなくなってしまった。
大きな文机の上で、肘をつきながらぼんやりと昨日の会議の資料に目を通していたが、その内容の三分の一も頭には入ってこなかった。
こりゃ駄目だ、と椅子の背もたれに思い切り背を預けて、ぐうっと伸びをしたら、丁度当の本人が執務室に入ってきた。

「隊長、これに判を下さい。それからこれ、隊長のでしょ。」
分厚い資料を腕に抱えて乱菊が自分の机に書類を積み上げた。

「進んでませんね、疲れました?」
実際、さっき彼女が出て行ってから、執務は殆ど片づいていなかった。

「いや……」
真逆こんな下らないことを考えていて進みませんでした、等と云えるはずもない。
眉間にしわを寄せると、そんな自分の様子を見て、ちょっと肩をすくめてふふ、と笑い、松本乱菊はお茶入れてきますね、と執務室を出て行った。

「隊長、何か悩み事ですか?」
長椅子でお茶を飲みながら乱菊が訊ねた。
「は?いや、別にねえよ。」
片方だけ眉を上げる。

「だって、今日全然上の空じゃないですか。」
ほら、と机の上の山のような書類を指さす。
そろそろ片付け始めないと、今日は徹夜になってしまいそうだ。
それもこれも、全ては名前呼びの事が気になったからだ。

「…おまえさ、何で隊長って呼ぶの。」
「はい?」
思ったことがそのまま口をついて出た。しかも、非常に曖昧な聞き方になってしまった。云わなきゃ良かった、と直ぐに
「あ、いい。聞かなかったことにしてくれ。」
もう仕事戻って良いぞ、と焦って声を掛けると、

「だって、護廷十三隊には隊長は沢山居ても、あたしにとって隊長は隊長ひとりだけですから。」
という答えが返ってきた。それから、隊長は特別です、と付け加える。

さて、仕事しますか、と湯飲みを持って、乱菊は自分の机に向かう。


…参った、と思った。矢っ張り、聞かなければ良かった。
これでは余計業務に差し支えが出るような気がした。
曖昧な聞き方が悪かったのだから仕方が無いとは思うが、じゃあ今のはどういう意味で云ったのか、なんて、問い返せそうになかった。
きっとこういうのを生殺し状態というのだろう。
もう仕事をするしかない、と無理やりに筆を執って、横目で乱菊を見やった。

 

後になって、今日処理しなければならない仕事をとりあえず片付けてから、気づいた。
多分、名前で呼んでほしい、という訳ではなく。
どんな形であっても良い。自分は彼女の「特別」が欲しかったのだ。

 

 


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